看護師だけど、やりがい・モチベーションがもうない状態で限界です。

看護師として働くことに、かつては大きなやりがいや誇りを感じていたはずなのに、今はもうモチベーションが湧かず、ただ毎日をこなすだけになっていませんか?
人を助けたいという純粋な気持ちで飛び込んだ医療の世界。けれど現実は、感謝もされず、理不尽な対応を求められ、罪悪感すら伴うケアに心をすり減らす日々。この記事では、そんなやりがいを失った看護師のリアルな葛藤を描きながら、限界を感じているあなたが自分を取り戻すためのヒントをお伝えします。
看護師になる前に抱いていた理想とやりがい
「人の役に立ちたい」「苦しんでいる人を少しでも支えたい」といった思いで、看護師を目指した人は少なくありません。夜遅くまで勉強し、国家試験を乗り越え、やっと現場に出られるという日を夢見て頑張ってきた方も多いでしょう。病気や障害に苦しむ人に寄り添い、「ありがとう」と言われる瞬間を想像して、そこにこそ看護師としてのやりがいやモチベーションがあると信じていたのではないでしょうか。
現実の医療・介護現場に打ちのめされて
しかし実際に働いてみると、現場は理想とはほど遠いことに気づかされます。急性期病棟では常に時間に追われ、ミスが許されないプレッシャーの中で心が削られていきます。慢性期や療養型病棟、または介護系の施設では、感謝されるどころか、暴言を吐かれたり、ナースコールを何度も無意味に押されたりすることもあります。
さらに生活保護を受けている患者に対しても、金銭的負担がないという理由で過剰な医療が提供されてしまう現状もあります。わがままで自己中心的な言動を繰り返す利用者を、職業倫理に従って支え続ける中で、「これは本当に人のためになっているのだろうか?」という疑問が胸を締めつけます。
意識もないまま身体拘束される患者を支える日々
医療の現場では、意思のない患者が点滴や経管栄養、呼吸器のチューブで繋がれ、身体拘束をされながら「延命」と呼ばれる処置を受けていることも日常です。その方が人生に満足しているかどうかもわからず、ただ機械的に命をつないでいる。そのようなケアに従事する中で、「自分は本当に良いことをしているのだろうか?」という違和感や、時には罪悪感すら芽生えてきます。
本来、誰かの命や生活を支えるはずだった看護という仕事が、「ただの作業」や「機械の一部」のように感じられ、いつしかやりがいやモチベーションは消えてしまいます。
社会の構造や制度への違和感と虚しさ
制度としては医療保険や介護保険が機能しているものの、実際に現場で働く側には重すぎる負担がのしかかります。医療の名のもとに、誰も幸せになっていないような処置が延々と繰り返され、それを支える側は心を消耗していくばかりです。特に真面目で倫理観のある看護師ほど、そうした矛盾に敏感になり、「こんなことを続けていていいのだろうか」と悩み、やりがいを失っていきます。
モチベーションが消えたときに考えてほしいこと
やりがいを失ってしまった自分を「甘えている」「責任感がない」と責める必要はありません。それだけ真剣に、他人と向き合ってきた証です。ただ、そこで心を擦り減らし続ける必要はないのです。看護師のスキルは、病院や施設だけでなく、訪問看護や企業、学校、イベント医療など、さまざまなフィールドで活かすことができます。
今の職場で感じる虚しさや違和感が積み重なっているのであれば、それは自分が成長し、変化のタイミングを迎えているサインかもしれません。やりがいやモチベーションが湧いてくる環境に出会える可能性は、まだ十分にあります。
限界が来る前に、自分の心を守って
やりがいを感じられないまま、ただ惰性で働き続けるのは、心身ともに非常に危険です。限界が来る前に、自分の感情を大切にし、もっと納得できる働き方を探すことが重要です。「もうだめだ」と思う前に、「違う場所なら、まだ自分は看護師として働けるかもしれない」と一度立ち止まって考えてみてください。あなたが必要とされ、心から「ありがとう」と言われる場所は、必ずどこかにあります。
こんな状態で転職する時、就職活動や面接、志望動機などをどうしたらよいか、前の職場はなぜやめたのかなどの質問にどんな風に対応したらよいかなど、心配なことも出てくると思います。このような人はたくさんいますが、新しい職場に行った時に好印象を持ってもらうためには愚痴ばっかり言ってるわけにはいきません。看護ルーなどの転職支援をうまく活用して、無理なく働ける場所を見つけましょう。